佐賀県立図書館「古文書等検索」所収資料群一覧

佐賀県立図書館が所蔵する古文書等の主な歴史資料の一覧です。(完成次第追加する予定です。)


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平成31(2019)年1月5日現在
 
【館蔵】資料

資料群名年代概要所蔵区分
ア行
秋田家資料近世全34点中、23点(断片1を含む)が刊本、11点が写本です。内容は往来物や実録物などが中心です。館蔵

朝日町坂元家資料近世、近代坂元家は旧佐賀藩士で、光茂、宗茂の御側を務めていたようです。本資料群は明治から大正期の当主規貞 (規定)、養嗣子守吉(陸軍パイロット) 関係の資料がほとんどです。規貞関係の資料は、明治30年代~大正10年代の書簡が150点ほど伝来し、差出人名は身内以外に、大木喬任、大木遠吉、大隈重信、福田慶四郎などが確認できます。館蔵

有浦家文書鎌倉、室町家文書(松浦党関係)。有浦家は、平安末期以降肥前松浦地方に居を定め、鎌倉時代から室町織豊時代に盛んに活動を行ったことで知られる松浦党の一族です。文暦2(1235)年のものを最古に、鎌倉中期のものが約20点、南北朝期の約70点、室町末、織豊期の約100点からなります。252点は重要文化財登録(平成2年3月30日、重第124号)。館蔵

有田家文書慶長初年(1596)から明暦年間(1655から1657)、近代。有田家文書は全て茂成以後のもので、佐賀藩主の書状、有田系図や御被官着到(三養基郡の一部、有田町の一部、その他)、有田均宛て副島種臣書簡等を存します。茂成は、龍造寺隆信の弟信周の子です。盛の跡を承け、初め松浦傳蔵と称し、中頃龍造寺八右衛門と改めのちさらに家名を有田と改めました。館蔵

石田一鼎関係資料主として江戸時代から明治期石田一鼎(1629~1693)は藩主鍋島勝茂・光茂に近侍した藩士で、「葉隠」の山本常朝に影響を与えた人物です。館蔵

伊勢町杉野資料江戸期から昭和期杉野家は、伊勢町に鎮座する伊勢神社の宮司を代々勤めた家で、富本梅坡 (1664-1713)の歌学関係、明治期以降の軍事郵便関係、杵嶋炭鉱関係等を存しています。館蔵

稲葉家資料江戸期から昭和期東松浦郡北波多村行合野村庄屋を務めた稲葉家の資料です。横浜において外国交易が許され、アメリカ、ロシア等の船が碇泊していることを伝えた書簡が含まれています。館蔵

今井氏資料明治から大正佐賀県徴収課長、賦税課長の任にあった今井喜一郎が収集した資料です。年代が明らかなものとしては、明治8(1875)年から大正14(1925)年迄の約50年にわたる資料群です。辞令、書簡が大多数を占めていますが、地租改正に係る資料を存しています。館蔵

弥富家資料近現代弥富家は川副の豪商で、内容は土地売買関係が中心です。安永8年(1779)の沽券状覚が残っています。大正1年(1912)作成の北川副村大字新郷(現在佐賀市)、同大字江上、同大字光法、同大字小々森、東川副村大字諸富津(同佐賀市)、城田村大字詫田(現在神埼市千代田町)などの地図を存しています。早津江村の字図には世界遺産に登録されている三重津海軍所が描かれています(「佐賀郡早津江村ノ内字二本松元海軍所上早津江村全図」弥987.1-524)。館蔵

宇木山浦家資料江戸末期から明治期唐津藩政期の有喜村(現在唐津市宇木)庄屋の作成した「御物成通」寛政9年(1797)26-12047、「有喜役場」黒印が捺印された「御物成通」慶応元年(1865)26-12014が含まれています。館蔵

江口家資料近現代作成年を欠くものが多く、江戸期から明治期までの書簡がほとんどを占めます。成立年が明らかなもので最も古いものは寛政10年(1798)の「覚」です。内容は商業関係が多いが、9月24日付け「田中傅左衛門書簡」(江口012 57-1430)にはヲロシヤ人船の絵図について述べている点が異色です。館蔵

江藤家資料江戸時代から昭和明治維新期の政治家であった江藤新平に関する資料群です。資料全体の半数以上が江藤新平にあてた書簡であり、差出人は三条実美、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視をはじめ、副島種臣、大木喬任、島義勇ほか多彩である。内容は、私的な挨拶状、依頼状、事務的な書簡が多い。その他、司法、政体の建言、草案およびその参考資料等です。館蔵

江藤家(茂國)資料近現代江藤新平曾孫の家で保存されていたもので、典籍、書簡、写真、拓本等を含む資料群です。書簡は、「江藤家(新作)資料 」(寄託)とほぼ同時期のものが含まれ、宛名や差出人もほぼ同一です。館蔵

延命寺関係資料主として明治後期から昭和10年代まで延命寺は唐津市浜玉町平原に所在する曹洞宗の寺院です。内容は延命寺堂宇建立に伴う工事、会計等の書類、「社寺関係書類綴」(玉嶋村役場)、その他廣澤寺(旧東松浦郡名古屋村大字名古屋)に伝来したと思われる「名古屋古城記」「元組治助屋敷一件帳」等の資料を含みます。館蔵

相知町進藤氏資料主として明治後期から昭和初期相知町の進藤家に伝来した資料であると推定されます。内容は酒造関係が中心です。館蔵

相知町横枕世戸氏資料明治時代相知町横枕の世戸家に伝来した資料であると推定されます。世戸氏は明治期横枕の総代を務めていたようです。内容としては〔山林取調帳〕(図相世24-10974)や〔地券名寄帳〕(図相世24-10975)が存しています。但し、虫損のため閲覧をご遠慮頂きたい資料がありますので、御了解くださるようお願い致します。館蔵

大崎平川家資料江戸から明治北方町大崎の平川家に伝来した資料群であると思われます。内容は文政年間以降の土地売買関係の資料、 明治中期以後、平川氏が北方村に納入した税金の納付書等が中心です。館蔵

小城武富家資料主として近世小城藩の武富家に伝来した資料だと推定されます。武富家は小城藩に仕える士分で、小城藩主の系譜、武富家由来扣等が含まれています。館蔵

小城西家資料近代小城町の西家に存していた資料群です。大部分が領収書の類ですが、汽車賃、人力車の料金等を記したものを含んでいます。また日露戦争時に詠まれた和歌も存しています。資料中に西正豊の名前が確認できますが、「西家文書」(小城市立歴史資料館藏)にも同じ名前が見えることから、同一の家に所蔵されていたものと思われます。なお、西家は小城藩で家老職を務めた家として紹介されています(「小城町立歴史資料館・小城町立中林梧竹記念館 調査研究報告書第3集、p.80)。館蔵
カ行
鹿島勝屋家資料幕末から昭和4年(1929)勝屋家は鹿島市高津原に在した鹿島藩士の旧家です。この家からは明浜(万延1年 1860~昭和8年 1933 )を輩出しています。明濵は、咸冝園最後10代目の塾主で、在任期間は明治29年 - 同30年(1896年 - 1897年)です。一方、父九門は万延元年(1860)7月、鹿島藩の句読師の一人として任命されています。館蔵

鹿島吉田家資料幕末鹿島藩領の鹿嶋町の吉田家に存していた資料群であると思われます。内容は書状や覚がほとんどで、柏岡役人に宛てられたものが存します。柏岡とは鹿島藩7代藩主鍋島直彜夫人の篤です。館蔵

鹿島藩政資料明治2年から4年鹿島藩は佐賀支藩の一つです。当藩は、明治4年(1871)4月14日、鹿島県に改称し、11月14日まで存続しました。本資料群には、この明治2年(1869)から明治4年(1871)頃までの資料が含まれています。館蔵

上和泉西川家資料江戸から昭和30年代佐賀市久保泉町上和泉西川家に伝来した文書(地租改正に伴う変地開発地野取帳)及び和本、漢籍、近現代の学校教育関係、絵葉書等の資料を含みます。館蔵

上熊川木原家資料
上熊川村は大野代官所の管轄にありましたが、中に小庄屋、村方の任免に関する資料が含まれています。「湯方ヶ條書控帳写」(上木23-12101)は江戸時代末期の当地区の温泉支配の様相を知りうる資料の一つです。館蔵

唐津魚屋町佐々木家資料明治期明治10年代の唐津地方における鯨肉取引関係と頼母子講関係等が含まれています。館蔵

唐津田中家資料近世から昭和初期唐津の旧家田中家に伝来した町方資料であると推定されます。主な資料として、「諸願控帳」「諸願控帳」、〔宗門人別改帳〕明治2年(1869)、酒造関係資料等を蔵しています。但し虫損のため、原則として閲覧をご遠慮いただく資料がありますのでご注意ください。館蔵

川久保戸長本村家資料明治から昭和佐賀郡川久保村戸長を務めた本村家の資料です。「産繭髙番付」(1926)は昭和初期養蚕業の一部を知りうる資料です。館蔵

川副吉武家資料江戸後期から昭和購入資料のため詳細な伝来については不明ながら、川副町の豪農吉武家に伝来した資料だと思われます。ほとんどが川副犬井道村、田中村の田畑や家の永代売渡沽券状であり吉武家当主が収受、作成したものです。川副地方の土居に植えられた櫨を、安政年間前後に買い入れたことを示す沽券状 (川吉20-12893。『川副町誌』p.181に翻刻掲載された資料の写し,)を存しています。館蔵

神埼真宗寺院資料
ほとんどが本願寺受納所から同行 [参考:同行は真宗ではその信者をいう]である三池氏に宛てたものです。一方で「願正寺書簡」(神真19-11150,明治4年)は、東目御同行中に宛てたものが存しています。館蔵

杵島郡江北町八町村庄屋資料主として江戸から明治期八町村深通御蔵への「八丁村」・「古川搦」の「御新地」に係る物成上納手形や永代売渡証文(借用を含む)を中心とする地方文書を含みます。『嘉永三年御蔵入六角郷八町村竈帳』(図杵八059)は、県内で確認されている竈帳の中でも数少ない資料です。館蔵

北川家資料近代明治時代に佐賀市第2、第5、第6代市町を務めた石丸勝一(1851~1922)に関わる資料。ほとんどが石丸宛の書簡で、中林梧竹書簡や台湾鉄道、朝鮮における起業、釧路開発関係資料などを多数含みます。総数約15,000点。館蔵

草野鼎所蔵文書写中世草野鼎は、鏡神社大宮司を務めた草野永元の末裔で(『昭和風土記』 p.96)、ここに掲げたものは同氏所蔵文書のうち一点だけを書写したものです。館蔵

久原みね資料
『保元物語』『平治物語』『平家物語』の3本が含まれています。『平家物語』は百二十句本の流れを組むものです。館蔵

隈家文書中世もと久留米市大善寺町玉垂宮の社家隈家に伝来した文書です。「龍造寺政家書状」、「鍋島信生直茂書状」等、龍造寺、鍋島両氏関係の文書を含みます。「佐賀県史料集成」第15巻に翻刻掲載しています。館蔵

倉永家資料主として近世旧佐賀藩の馬術指南役などを務めた倉永家の資料です。内容的には、年始の挨拶や生活用品の購入など日常的な時事に関する資料や馬術方、参勤交代など勤役に関する資料が中心です。館蔵

黒川町牟田横田家資料
旧唐津藩領牟田村庄屋家伝来の文書群です。主に江戸中期から明治期にかけての年貢収受関係帳簿(年貢割付状、田畑反別名寄帳、土地証文)であるが、天正年間のものと思われる五点の中世文書を含んでいます。館蔵

玄海町永倉村資料主として近代玄海町長倉村の戸長宅に伝来したものと思われる資料48点で、平成19年度に本館が古書店から購入した資料です。最も古い資料は「諸品々有物控」(元治2年1865)で、最も多い年代は、明治14年から明治17年で、長倉村の会計・取立に関する資料19点にのぼります。館蔵

古地図絵図録主として近世鍋島家文庫、蓮池文庫の藩政資料や明治行政資料等の中に存していた約1,400点の古地図、絵図です。郷土関係の古地図以外に沖縄から樺太に至るまで内容は多岐にわたっています。本館所蔵の資料は佐賀県立図書館データベースで公開していますのでこちらを御利用ください。館蔵
サ行
境原山邊家資料近世から近代山邊家は現神埼市(旧境原村)に所在する若宮神社の宮司を務めました。藩政期には佐賀本藩や京師・吉田神社家職との関わりを有していました。近世中後期から明治期の書状・書簡が量的には大半を占めます。内容的には、山邊生芳の「日記」、吉田神社関係書簡や神社差出(控)、山内絵図、祝詞を存しています。館蔵

佐賀県立図書館収集歴史資料 近世から佐賀県立図書館が寄贈や購入によって収集した資料です。ただし、一件で20点以上を超えた場合は、一つの資料群としてそれぞれ目録を作成しているため、これは一つの資料群を構成しない資料を指します。主として藩政期から明治16年(佐賀県再設置)までの資料からなる資料群です。収集地域は佐賀藩領、及び飛地(長崎県の一部)、唐津藩領、対馬藩領の範囲に及んでいます。館蔵

佐賀県明治行政資料主として近代佐賀県庁が所蔵していた廃藩置県から昭和初期にかけての行政資料約2,500件です。内容は、達・布告、官省進達、管内布達、諸規則や家禄奉還、農業をはじめとする各種産業に関する資料、諸願伺届書、興行願等です。館蔵

佐賀県農事史資料近世から昭和県史及び佐賀県内干拓史編さんに関連しての資料が中心です。農地改革及び近世・近代の三神地区の農業に関する資料を含んでいます。館蔵

佐賀西高旧蔵資料 漢籍近世から近代佐賀西高に収蔵されていた漢籍です。蔵書印は多種多様で、「弘道館藏書印」、「明善堂印」、「萬乘庫印」が押されたもの(西漢42,西漢78)や、「佐賀中學校印」だけのもの(西漢1)、「佐賀師範學校圖書」と「佐賀縣立佐賀高等女學校圖書之印」が押されたもの(西漢72)、個人の蔵書印等さまざまな蔵書印が確認できます。館蔵

佐賀西高旧蔵資料 和書近世から近代佐賀西高に収蔵されていた和本です。蔵書印は多種多様で、「弘道館蔵書印」と「萬乘庫」の印が押されたものの外、「蕃學寮蔵書印」のように佐賀藩政期と推定される印が見えます。また、「佐賀縣立佐賀中學校圖書印」、「佐賀縣第弐中學校圖書印」(西和3)、「従五位小笠原長國納天唐津立道館」(西和271)のように佐賀、鹿島、唐津の蔵書印が確認され、来歴が様々であることが分かります。館蔵

相良家資料近代相良知安は、ドイツ医学の優秀性に着眼し、ドイツ医学制度を導入しました。相良は東京大学医学部の礎を築いた人物の一人です。 「医学校取調御用掛」(1869年)、「医制略則」(1874)は文部省初代医務局長時代に起草し、ほぼ原案どおり公布されたとされます。館蔵

塩田野中家資料幕末蓮池藩藩校成章館の記録(「某履歴」(塩野23-10292)や龍津寺の寺院名が記載された〔寺院名書出〕(塩野23-10300)など蓮池藩に関する資料を存しています。館蔵

塩田西野家資料近現代藤津郡塩田村鍋野西野家に伝来した地域資料だと考えられます。「借用証」、「出資証券」がほとんどです。館蔵

塩田原口家資料近世蓮池藩士から差し出された書簡を含み、当家の原口半次郎、六郎兵衛は何らかの藩の役職についていたものと思われます。他には漢詩4点、薬草・漢方に関わる資料5点を存します。館蔵

修学院文書写中世修学院は神埼郡吉野ヶ里町松隈字坂本にある天台宗の寺院で、ここに収録したものは、修学院文書の一部を書写したものです。館蔵

白石神社保存資料主として近世白石神社に保存されていた資料群ですが、内容は内容は鍋島家の親類の一つ白石鍋島家に関わるものと考えられます。資料が保存されていた白石神社は1823年、白石鍋島家6代邑主直章によって創建。白石鍋島家は佐賀初代藩主鍋島勝茂の長男直弘に始まる家です。年号が明らかなものの中では「豊臣秀吉知行目録写」(1595) が最も古く、肥前国養父郡に5,700石領知することが認められています。その他、江戸時代の藩政や達書等を存しています。館蔵

白石鍋島家資料主として近世白石鍋島家は佐賀初代藩主鍋島勝茂の長男直弘に始まる家です。年号が明らかなものの中では「豊臣秀吉知行目録写」(1595) が最も古く、肥前国養父郡に5,700石領知することが認められています。その他、江戸時代の藩政や達書等を含みます。館蔵

慈王院文書写中世慈王院の詳細は不明ですが、ここに掲げたものは、昭和12年に書写したものです。「龍造寺隆信書状写、「某安堵状写」の2点です。館蔵

実相院文書写中世実相院は佐賀市大和町川上に位置する真言宗御室派の寺院で、ここに収録したものは、実相院文書の一部を書写したものです。館蔵

城島家資料幕末から明治期正徳町(小城町)の清右衛門に宛てた覚が多数含まれることから、小城地区に伝来したものと推定されます。清右衛門は木挽の棟梁である(「御修り方書状」3-10445)。内容は板材の算用や木挽き職人の賃金に関するものが中心です。館蔵

浄台寺資料藩政期から明治期本資料群は佐賀市蓮池町大字小松の浄台寺の伝来したもので、浄台寺は浄土真宗本願寺派の寺院です。内容は仏典(漢籍)がほとんどです。館蔵

角家資料弘化年間頃から明治期まで年号が明らかなものでは、弘化年間から明治期までの資料群です。内容は古酒、明樽の代金を記した覚や藤津郡八本木村関係の資料を含みます。館蔵

石長寺小路嘉村家資料近現代石長寺嘉村家は幕末からは薬種商を営み、昭和まで嘉村百楽園・てきさい本舗等として続いていたようです。そのため「売薬免許証」(石嘉22-24037、その他)、〔医薬品製造関係書類綴〕(石嘉22-24061)等、薬種関係の資料を多数含んでいます。館蔵
タ行
高尾稔資料現代高尾稔は「九州文学」の作家、編集者で、資料群は自筆原稿や自筆画からなります。また、一部父朝花(佐賀短歌会の指導者)の投稿句を含んでいます。館蔵

高木瀬土井氏資料現代〔上佐嘉下郷土居調(写)〕、高木瀬村掛作人名等、高木瀬地区に関する資料が中心で、土井芳彦が高木瀬町史編集責任者在任中に収集された資料です。館蔵

高取家資料主として近世「聞書」、「直茂公三徳譜」、「勝茂公譜」等、藩主の事績を記した資料や、幕末の「魯西亜船渡来手続」(1853)を含んでいます。館蔵
 

武富家資料近現代成立年が明らかなもので最も古いものは文化11年(1814)の覚です。江戸時代の貸借、土地関係の覚が中心で、諸富津(現在佐賀市諸富町)や上佐嘉上郷北原村(現在佐賀市大和町)の資料を存しています。館蔵

田澤義鋪資料近現代鹿島市出身の政治家であり教育者であった田澤義鋪の資料です。資料のほとんどは香典袋であり、田澤義鋪葬式時に供えられたものと考えられます。また、田澤が子供に宛てた海外からの絵葉書(25-11889~25-11908)が含まれています。さらに、大日本聯合青年団理事長辞任にあたり作成した挨拶原稿(25-11963)を含んでいる。館蔵

多布施石井家(三華)資料近代華道家で歌人の石井三華の詠草と所属短歌結社である漣会、佐賀さかえ会等の記録が中心です。その他書簡や短歌以外の資料も含まれています。館蔵

塚原嘉一郎関係資料近現代塚原嘉一郎は明治九年(一八七六)、佐賀郡新北村(現在佐賀市諸富町)出身の実業家。明治40年代~昭和30年頃までの資料です。嘉一郎の妻與志(よし)は、秋山好古の娘。そのため、秋山好古、真之(弟)、多美(妻)の書簡を含みます。また、南支石炭資源開発に伴う中国国民党の書簡や書類、樺太のコスチナ塚原鉱業や東杵島炭鉱に関係する書類を存しています。館蔵

堤家資料主として近世堤家は、清和天皇の孫伊那為公の6男、堤源三郎為氏の後裔、永禄年中に初めて龍造寺隆信の麾下となったと伝えられています。この資料群には、「龍造寺隆信判物」(1569年)やその子政家の判物、初代藩主勝茂の知行宛行状を含みます。「佐賀県史料集成」第16巻に翻刻掲載しています。館蔵

常安弘通資料近代常安弘通(松浦史談会会長)宛ての書簡、ハガキです。小笠原長生書簡を存します。館蔵

徳万石川家慶応から昭和初期主な資料として、久保田領村田家家臣の勤務年数、加米石高を記した〔村田家家臣出仕年数調〕(19-11197)があります。館蔵

徳万永松家資料近代久保田町徳万に伝来した資料群で、明治末から大正時代にかけた資料がほとんどです。これらは伊万里税務署長を務めた永松清が収集したものと考えられます。酒造、醤油、漁業、狩猟等に関する資料を存します。館蔵

徳万森山家資料近代小作定約、土地貸借関係の資料が中心です。館蔵
ナ行
中村勲収集資料
仏像、鐘銘等を調査し、拓本として収集したものです。調査地域は佐賀県内だけでなく、福岡、長崎、熊本にまで及んでいます。館蔵

中橋家資料近世宛所として石井杢左衛門と見えることから石井嫡男家に伝来したものと推定されます。系図及び兵法、武術関係が中心です。館蔵

鍋島市佑資料近世鍋島市佑(本姓納富)は藩主直正の藩政改革を支えた側近の一人です。館蔵

鍋島侯爵家西久保司庫資料主として明治時代明治中期、芝西久保 (現東京都港区愛宕付近)にあった鍋島家の事務所で作成された公債証書売買貸付、醤油造りに関する出納目安等です。館蔵

西魚町北島家資料幕末から近代佐賀市西魚町に伝来した資料群です。北島家は酒造業、製飴業を営んでいたようです。内容は商業経済意外にも多岐にわたっており、「御追討ニ付諸控」(1864年)、「四番小隊予備一番日記」(明治2年)等の記録を含んでいます。館蔵

西原家資料主として化政期佐賀市北川副町に伝来した資料です。化政期以後の覚がほとんどで、租税(物成)、使用人関係等、内容は多岐にわたります。館蔵

能古見森田家資料明治明治15年(1882)から明治38年(1905)までに作成されたものです。櫨栽培に必要な種櫨(櫨の種子)の買入を記した帳簿や、金銭の貸付に関するものを主とする資料群です。館蔵
ハ行
蓮池公民館資料藩政期蓮池公民館に保存されていた資料群で、二代藩主直之の宣旨(萬治三年十二月廿八日)、三代藩主直稱の口宣案(元禄十三年十二月廿一日)を存します。館蔵

蓮池中野家資料近現代『蓮池傳記』の編者である中野紹太郎は先賢の書画や遺墨の保存を企画しました。この資料群は氏によって収集された資料だと思われます。館蔵

蓮池鍋島家文庫主として近世旧佐賀藩における三支藩の一つであった蓮池鍋島家所蔵の藩政資料中心とした資料群です。元禄16年から慶応2年までの請役所日記を中心に御案文帳、家事局日記、御蔵方諸控、会計局諸控、科人帳などがあります。また、初代藩主直澄以来歴代藩主の書状・書簡類が多数含まれています。館蔵

半田村麻生家資料近世から昭和近世期の永代売渡証文類などが含まれており、土地集積が可能な財力を有した家であったと考えられます。借用証を中心とする資料群ですが、歌舞伎・芝居の興行許可に係る資料などが散見します。館蔵

服部英雄(しこ名調査)資料現代佐賀県内の全2,000地区(旧村)別におけるしこ名及び民俗等の悉皆調査です。九州大学名誉教授服部英雄氏をはじめ学生、院生によって調査されたものです。館蔵

浜崎堤家資料主として近世から近代造り酒屋を営んでいた堤家の分かれで、明治に堤松琴堂という印刷業を主に営んでいた堤家は唐津地区にあっては俳諧の指導的立場にあったと思われ、江戸末期から明治時代にわたる俳諧関係資料が伝存しています。館蔵

浜崎堤家(新聞切抜)
浜崎堤家の資料から新聞切抜だけを抽出したものです。明治29年(1896)~昭和14年(1939)までの新聞切抜約700点を含んでいます。館蔵

浜崎溝江家資料主として近世から昭和東松浦郡浜崎浦大庄屋 (現唐津市)の溝江家に伝来したものです。対馬藩領時代、浜崎には田代代官所の出張所が置かれていましたが、溝江重五郎は浜崎浦の大庄屋の任にありました。内容は、文化8年(1811)、朝鮮通信使来聘時に作成、収受された〔松浦郡拝借の儀に付き受書ひかへ其外〕(26-12050)、〔御登り書付〕(26-12088)等、朝鮮通信に関する資料を含んでいる点が注目されます。館蔵

浜野家資料主として近世弘化3年(1846)~安政5年(1858)までの神埼西郷上姉川村(現在神埼市)の物成目安が伝わっている。その他、伊東外記(伊東伊東次兵衛(1806~1890)。幕末の長崎警備・対外通商などの佐賀藩の当局者の代表的立場にあった人物)、深川亮蔵(1832~1902 鍋島家の家扶で11代藩主直大の教育係も務めた人物)等の書簡を含みます。館蔵

林雪堂資料近現代林雪堂は、大正期の漢詩の結社「芙蓉詩社」に属し、漢詩会を支えた重鎮の一人です。諱は観吾、雪堂は号です。日田の咸冝園にて学問を修め、鹿島出身の勝屋明浜に漢詩文を師事しました。本資料群には、咸冝園の証書が残ります(林雪134~林雪136)。佐賀の漢詩文学の末期の現状を知りうる資料であるとともに、当時の学僧の学問水準や佐賀県内の華道について知りうるな資料だと言えます。館蔵

原古賀平野家資料主として明治旧三養基郡中原町原古賀の平野家に伝来した資料群です。龍造寺家の由緒を記した写本が伝わっています。館蔵

原田角郎資料昭和原田角郎は『消えていく百姓言葉』の著者で、共著として『諸富町史』があります。農村及び漁村についての方言学的な資料、民俗学的な資料等が中心の資料群です。館蔵

東尾岡村家資料主として明治三養基郡北茂安町東尾に伝来した資料群です。北茂安村第3代村長岡村逸作の収受した資料が多数含まれています。明治2年(1869)頃の藩札(佐賀藩銀会所)を存しています。館蔵

東虎喭収集資料藩政期の写本大正末から昭和初期に東虎喭(昭和19年没)が筆写・収集した、主として佐賀藩に関する歴史的な文書の稿本、村中城之図等の写し、佐賀県域の写真、絵葉書等です。収集対象範囲は佐賀藩以外に唐津藩、その他県外にも及んでいます。館蔵

東の原中野家資料主として近世中野家は江戸期は役方に勤め、明治期は炭坑関係に勤務していたようです。資料は内容から、役方、炭坑関係、村役関係、家政関係に分類しています。館蔵

東多久西原家資料近世から近代資料群の大半は地所売買約定に関する証文で、仁位所村の約140年間にわたる土地売買の実情を知りうる資料です。館蔵

東松浦郡農業近代東松浦郡打上村(現唐津市鎮西町)の東松浦郡産牛馬組合、東松浦郡畜産組合など畜産に関する資料と、加倉耕地組合の土地売買関係資料とに大別されます。田原理太郎(打上村長、県議会議員)が作成、収受した資料群だと思われます。館蔵

東山田自治会資料藩政期から昭和佐賀市大和町東山田地区で保存されていた資料群で、1800年代初頭から昭和49年まで凡そ170年間にわたる地域資料です。土地関係、馬政関係等の資料を含みます。館蔵

秀島家資料幕末から近代嘉永2年(1849)から安政2年(1855)までの「外御小姓勤役中日記」3冊、及び安政4年(1857)から治6年(1873)までの「日記」6冊を存します。これらは秀島登房によって作成されたものですが、登房は藩主の長崎行のお供をしていたようです。また、その他登城命令等が含まれています。館蔵

深江家資料近世深江氏の祖先は高来郡深江村の地頭で、安富を姓としています。本資料群の伝来の詳細は不明ですが、時代的に「深江家文書」(個人蔵、寄託先佐賀県立博物館)に続くものです。館蔵

福田家資料明治から昭和まで福田家は桜岡地区(現在小城市小城町)に在住していた士族です。中に江口作太郎宛の辞令(1909)を含み、新北村字福田分赤痢病患者收容所医員を嘱托されています。館蔵

藤川家資料近世和本、漢籍が中心です。館蔵

藤津関係(能古見郷納富分)資料藩政期から近現代本資料群の伝来の詳細は不明ですが、藤津郡能古見郷納富分村に伝来した地方資料だと思われます。地券や水利関係の資料が中心です。館蔵

冨泉院泉憲堂資料藩政期冨泉院は佐賀市嘉瀬町扇町荻野にある臨済宗の寺院です。本資料群は冨泉院住職の泉憲堂が収集した漢籍(仏典)を主としたものです。これらの資料には冨泉院の由来や寺務に関するものが含まれます。館蔵

古澤家資料江戸時代から明治期古澤家は佐賀市高木町に在する旧家で、家屋は多久家の御姫様の屋敷を移したとされています。家業は醸造業を営んでいた関係で、醸造関係の資料が多伝来しています。また、江戸時代の古典籍や租税、米の取引、武術等に関する資料や明治期の英会話の資料を含んでいます。館蔵

本庄町江﨑氏(原田総之助)資料明治期原田家総之助に関する資料群です。原田家は学者、教育者の一家で総之助は歌学者で春景と号しました。佐賀県の歌合の受容状況や、短歌結社の様相を知る手がかりとなる資料を存しています。館蔵

坊所鍋島家文書中世から江戸期佐賀藩家老坊所鍋島家(姉川鍋島家、島周防家)に伝えられたものです。『佐賀県史料集成』11巻~14巻、18巻に収録しているものは江戸時代初期が大半。最も多いのは勝茂書状で364点、鍋島直茂、鍋島忠茂、鍋島元茂、円光寺元佶らの書状がこれに次ぎます。佐賀城、蓮池城の築城、公儀普請役、福岡藩領から佐賀藩への農民の逃亡などの史料が豊富です。館蔵
マ行
真島家資料幕末から大正時代まで年号を欠くものの、姉川村(現在神埼市神埼町)など石碑寄附人名や若宮村(現在佐賀市)、高木村(同)、久池井村(同大和町)その他の田地等級表を記した資料、郡役所絵図角据書込代、材木代、地押丈量賃金、地普請竹木代等の書付けを含んでいます。館蔵

松浦家資料近世から近代杵島郡北方町に伝来した資料群です。漢籍、和本がほとんどで、龍造寺氏、多久の家譜「水江事略」を含んでいます。また断簡ながら村議会、村長、議員の職制などについて記した草稿があります。館蔵

松尾禎作収集資料昭和松尾禎作は大正から昭和期の考古学者で、「北九州支石墓の研究」等多くの研究論文を残しています。この資料群は支石墓や古墳出土物、及び石塔の記録写真からなります。館蔵

三河内植松家資料藩政期から明治三河内村は藩政期鹿島藩領に属していました。この資料群は内容上、近世村政資料、近世から近代期の植松家政資料等に分類できます。館蔵

三瀬村栗原家資料藩政期から昭和年代が明らかなものに限って言えば、延享1年(1744)から昭和21年(1946)まで約200年にわたる家政資料です。土地・家屋などの売買に関する沽券状や覚を多数存します。館蔵

南茂安村会資料大正から昭和28(1953)年旧南茂安村(現みやき郡北茂安町)、及び同村濱田村に係る地域資料です 。資料のほとんどは村会議員姉川喜久次にかかるもので、南茂安村会の議事録がほとんどです。その中には南茂安村の「耕地整理組合関係」が含まれ、耕地整理の実態の一部を知り得る資料と言えます。館蔵
 南波多町古川村山口家資料
 藩政期から近現代 伊万里市南波田町古川村に伝来した資料群です。古川村は唐津藩領に属し、山口家代々古川村の庄屋に任ぜられていました。藩政期の結納や出産に関する型紙、永代売渡証文、和本等が含まれています。 館蔵

三好十郎関係資料昭和三好十郎(1902年~1958年)は佐賀市八戸町出身の劇作家です。本資料群には、宍戸恭一、片島紀男、三好(白木)まりの各氏が収集した三好十郎の著作、研究者の論文掲載の雑誌、三好十郎作品の演劇公演関係資料(パンフレット、チラシ・ポスター等)などが含まれています。館蔵

牟田口家資料 近世末期から明治期神社に伝わった明治から大正までの資料群です。光法、山領、大尾地区(現在佐賀市諸富町)の「御初穗米」(1945)があります。館蔵

村田家資料
村田家は龍造寺政家の次男八助(安良)が跡目を継ぎ、初代村田氏となり太俣郷(久保田町)の領主として治めました。資料は、宝永2年(1705)~明治41年(1908)まで約200年間にわたる資料群で、「大俣庄快万村御物成帳」(1705年)、「大俣庄窪田村小城私領替地所畒数地米改御物成帳」(1803年)等江戸時代の久保田地区に関する資料を含みます。館蔵

諸岡家資料幕末から明治初期諸岡家は旧浦郡入野村(肥前町入野)の大庄屋を務めた家です。この資料群は入野村最後の入野組大庄屋である諸岡荒太郎に宛てられた書簡や覚がほとんどです。館蔵

諸隈家資料明治諸隈宣義が明治20年代に東京西ヶ原鍋島別邸で書写した藩主年譜が中心です。また11代藩主鍋島直大筆の扇面も伝来しています。館蔵
 ヤ行 山代立岩村資料 近世から明治初期 伊万里市山代町立岩に伝来した資料群です。伝永の詳細は不明ながら、代売渡手形覚が多数含まれており、当地において土地集積が可能な財力を有した家であったと考えられます。 館蔵
  柳町馬場家資料 主として近世から近現代馬場家は元神代家家中で川久保に在しました。 その後佐賀城下の柳町に移転し開業医を営みました。神代家の蔵書印が押さた「葉隠」や「御壁書弐拾壱ヶ條」等が伝来しています。四郎は陸軍軍医を務めたことから戦時期における医療の記録が含まれています。
 館蔵

柳町森永家資料近現代佐賀市柳町の森永家に伝来したものです。森永家は煙草の製造を始め、その後、呉服店を営んでいました。 本資料群には煙草に関するものだけでなく、池坊華道関係の写真、土地売買に関する資料を含んでいます。館蔵

山口家資料
医学や茶道に関するものが中心です。茶道関係には茶室略図や茶道手前の図を含んでいます。館蔵

八女馬場家(江藤夏雄旧蔵)資料藩政期から明治期本資料群は江藤新平の孫夏雄旧蔵の漢籍、和本です。氏は自由党所属の衆議院議員で、満洲国の官吏でした。館蔵

弓鷹町永渕家資料近代東松浦郡有浦村で開業していた順心堂医院(田原家)で作成、収受された資料群です。唐津市弓鷹町の開業医永渕家で保存されていたものです。館蔵
ラ行
龍造寺家文書主として中世龍造寺氏は隆信の孫高房、その子伯庵で嫡家は絶えましたが、高房の弟安良、佐賀郷久保田邑を領して村田氏を称し、龍造寺氏の祀りを継ぎました。龍造寺家文書はこの家に伝えられた文書です。昭和62年3月16日佐賀県重要文化財に指定。館蔵



 
【寄託】資料
No.資料群名年代概要所蔵区分
1石橋家資料近世から近代幕末の当主石橋三右衛門に関する資料が中心です。三右衛門は長崎海軍伝習所目附、有田皿山代官を歴任した人物で、これらに関連する資料が含まれています。また近代の資料には海運業の資料も伝来しています。寄託
2犬塚家文書主として中世犬塚氏は15世紀末から16世紀初頭の頃、神埼郡に移り、その数人の男子はそれぞれ郡の東南部を分領しました。この資料群は佐賀郡東古賀に領した五男家喜の家に伝来していたものです。家喜の曾孫は龍造寺高房に近侍していましたが、後に鍋島氏に仕えました。龍造寺高房が江戸で自殺を企てた当時の政家の書状をはじめ、この事件に関する資料を含んでいます。寄託
3打上村田原家資料近世加倉村の庄屋田原家に伝来した地方資料です。寄託
4江藤家(新作)資料明治から大正江藤新作(1863年~1910年)は明治時代、佐賀出身の衆議院議員を務めた政治家です。父は初代司法卿の江藤新平(次男)、号は節山。寄託
5音成中村家資料藩政期から近現代藤津郡音成七浦村の中村家に伝来した資料群です。中村寛治は旧七浦村長を長きにわたり務め、農業発展や教育の振興に尽くしています。寄託
6川副町史編纂委員会収集資料
川副町史編さん時に収集された資料で、大詫間の資料を含んでいます。寄託
7河上神社文書
肥前国一ノ宮である河上神社(與止日女神社)に伝来した古文書で、平安時代10通、鎌倉時代92通、南北朝時代85通、室町時代60通の計247通を存する文書です。九州における一宮の発展の跡を伝えたもので、特に大宰府・国衙関係文書は、同社と大宰府及び国衙の関係を示し、南朝関係文書は、十四世紀の九州の動向を明らかにするなど、歴史研究上重要な史料です。国重要文化財1980.6.6) 県重要文化財(1955.1.1)寄託
8黒土原成富家資料主として近世から近代黒土原成富家は成富兵庫茂安の大叔父栄種を祖としています。文化年間の種尹は有田皿山代官を務め、子の作兵衛(種長)は藩主斉直、直正に近侍していました。種長が子の種武に宛てた書簡の中には桜田門外の変を知らせるものが伝来しています。寄託
9高城寺文書平安末以降佐賀平野の北端、脊振山地の南麓にある臨済宗東福寺派高城寺に伝来したもので、鎌倉期から江戸にかけた総数100通からなります。最も年代の古い文治2年(1186)の源頼朝下文案(くだしぶみあん)には、在地の武士高木宗家を土地の地頭に任命した旨が記されています。昭和61年3月19日佐賀県重要文化財に指定。寄託
10正法寺文書鎌倉末以降佐賀市北部に所在する臨済宗東福寺派正法寺に伝来したもので、その総数は32通で鎌倉期から室町期にわたるものです。最も年代の古い正和3年(1314)の鎮西御教書は、鎮西探題北条政顕が寺領内に武士が濫入して乱暴なふるまいを働くことを禁じたものです。昭和61年3月19日佐賀県重要文化財に指定。寄託
11副島家資料
個人蔵(大和町)。「第二着到」(1858)、「組分着到」(1867)等幕末から明治初期の軍制を知る資料を含んでいます。寄託
12鷹匠小路江副家資料元禄3年(1690)から昭和末佐賀城下鷹匠小路の江副家に伝来していたものです。江副氏の戦功については「佐賀藩諸家差出戦功書」(寛保1年,1741)に記載されています。元和4年(1618)6月3日、江副兵部左衛門(茂久)は鍋島直茂逝去後、追腹を切っており、明暦3年(1657)4月7日、その子兵部左衛門(久道)も勝茂逝去後、追腹を切っています。その後近現代に至るまで、殉死に伴う鍋島家からの覚が伝来しています。寄託
13武雄神社文書平安時代以降武雄神社に伝わる平安時代中期から室町時代末期にかけての古文書で、中でも天暦5年(951)2月の四至実検状(武雄社社域の検分書)は、県内に残る古文書の中で最古のものです。この実検状には神主の伴のほか、太宰府使の加賀権守源朝臣等7人の花押があり、地方と中央の関係を理解することができます。218通は 昭和54年6月6日、国指定重要文化財に指定。寄託
14鍋島文庫(郷土)主として近世旧佐賀藩主鍋島家所蔵の藩政資料を中心とした資料群です。内容的には、財政、藩士、分限など藩政に関する資料と、藩主に提出された宗門、人別、村勢、租税、治安などの文書、地誌などがあります。鍋島報效会寄託資料。寄託
15鍋島文庫(一般)主として近世旧佐賀藩主鍋島家所蔵の和漢籍約4,800件の資料群です。和書には、明治以降の刊本、邦人編著の漢籍、仏典などの注釈も含みます。漢籍には、日本国内で書写または復刻された漢籍、仏典およびこれらを抜粋改稿したものを含んでいます。鍋島報效会寄託資料。寄託
16鍋島文庫(洋書)近世旧佐賀藩主鍋島家所蔵の洋書約200点です。佐賀藩は長崎港の警備を命じられていたため、対外情勢の変化に敏感で、ヨーロッパの科学技術を導入するため、積極的に洋書(蘭書)を収集していました。この目録について「佐賀藩旧蔵蘭書目録」(松田清、平成16年)に書誌学的な調査結果が報告されています。なお、閲覧を御希望される場合は、直接寄託者に御相談ください。寄託
17橋本家資料 近世から近代佐賀市長瀬町に伝来した地域資料です。橋本家は肥前の刀匠、肥前国忠吉(初代)の娘婿肥前国吉信の嫡男、河内大掾正広(初代)の後裔にあたります。初代正広は佐傳次と称し乱刃を得意とし、本家筋に劣らない名工であったと言われます。資料の詳細につきましては、『佐賀藩幕末関係文書調査報告書』(pp.353-415)に解題がございますので御覧ください。寄託
18原忠順関係資料主として明治時代原忠順(天保五1834~明治二七1894)は鹿島藩士で明治初期に活躍した政治家です。1879年沖縄県設置で鹿島藩主鍋島直彬が県令となったので忠順も沖縄の大書記官となり活躍、その功労で従五位に叙せられました。鹿島藩11代藩主鍋島直彬の書簡、及び沖縄大書記官時代の書簡等を含んでいます。寄託
19蓮池永田家資料藩政期永田暉明(1838-1923)著『蓮池日支略』の草稿と、それ以外の「暉明履歴之概略」に分類できます。前者は蓮池藩の詳細な藩史です。寄託
20松田家資料近世から現代鍋島勝茂と直能の知行宛行状、今山検地帳、八拾三人名付(藩祖直茂が孫で小城初代藩主の元茂に譲った83人の家臣のいわれを書いたもの)等、近世初期の資料を含んでいます。寄託
21牟田家資料近世から昭和10年代神埼上東郷横田村の水引に関する資料が中心です。日記帳や水引絵図、水引井手番帳等が残っています。寄託