北西部地区

No1

タカクワクラブ水泳講習会
 岩瀬栄一
 1949(昭和24)年

 塩谷海岸で開催された、高桑市郎が創設した水泳教室タカクワクラブの光景。1926(大正15)年の同会による水泳講習会以前も、塩谷海岸を使用して児童向けの講習会が行われていた。戦後は写真のように盛況であったが、児童数の減少などにより2007(平成19)で終了した。
 
No2

高島稲荷神社の祭礼

 

高島稲荷神社は元禄3年の創建と伝わる、鰊漁で栄えたタカシマ場所時代からの由緒ある神社である。例大祭は7月に行われている。写真は子供みこしの情景。
 高島稲荷神社の祭礼
No3
祝津の海水浴場
 
小樽の海水浴場は1895(明治28)年8月小樽教育会が児童遊泳場を設置している。
一般向けには銭函、ついで蘭島、朝里など各地に設けられた。祝津附近にも祝津前浜・豊井、写真の目梨泊に小さいながらも海水浴場があった。目梨泊の海水浴場は現在廃止され、おたる水族館の敷地となっている。
 
No4

祝津前浜
 
昭和20年代末~昭和30年代初

 祝津は江戸時代から鰊漁が盛んだった。祝津村は1902(明治35)年4月高島村と合併、高島村大字祝津村となる。1922(大正11)年5月高島町となり、1940(昭和15)年4月高島町が小樽市へ併合されたことで小樽市の一部となっている。
写真上方の日和山灯台は、1953(昭和28)年5月それまでの木造から新しい灯台となった。1958(昭和33)年7月にはその下方に鰊御殿が移築されるので、撮影時期はこの間となる。なお、祝津の読みはかつて「しくづし」であった(祝津郵便局は1937=昭和12年「しゅくつ」と改称)。
 
No5

高島の鰊漁
 
昭和戦後

 小樽近郊の鰊漁は明治30~40年代には最盛期を迎えたが、大正時代には好不漁を繰り返し、昭和初期には激減、凶漁となる年も多くなった。戦後一時的に回復したが、以前のような繁栄は望むべくもなかった。最近ではかつてのサハリン型とはちがう、石狩湾内を回遊するニシンが小樽近海でもとれるようになっている。