福島県立図書館所蔵 貴重郷土資料探照 8「白虎隊英雄鑑」

 

錦絵とは「浮世絵の多色摺り木版画の総称」(註1)である。1765(明和2)年に浮世絵師鈴木春信らによって商品化された。「絵暦交換会の流行が直接の契機となったもので、錦繍の華麗になぞらえて<錦絵>の美称」(註1)がつけられた。丹絵(たんえ)、紅絵、漆絵、紅摺絵、錦絵と色を重ねる技術が進歩し、鮮やかな色彩の絵が摺られるようになった。

錦絵には役者絵や美人画、風刺画、名所絵、戦争絵などがあり、画題は多彩である。当館所蔵の戦争関係資料のコレクションである佐藤文庫にも日清・日露戦争を描いた錦絵が所蔵されている。話題性、速報性も重要な錦絵にとって、庶民の注目を集めている出来事ほど、よい題材となったようだ。雑誌・新聞の挿絵として、また、錦絵新聞としても出版され、情報が各地へと流れていったのではないだろうか。

「白虎隊英雄鑑」(表紙図版参照)は肉亭夏良(小林清親)の作と思われる。明治初期、辻岡文助(東京)によって出版された。大きさは折りたたみ18×24㎝。作者である小林清親(弘化4から大正4,1847から1915)は、下岡蓮杖(しもおかれんじょう)に写真術を、英人ワーグマンに洋画を、柴田是真(しばたぜしん)・河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)らに日本画を学んだ。これらを基本として、「光線画といわれる明暗の技法を駆使した独自の手法」(註2)を生み出し、伝統の中にも新しさを感じさせる錦絵を創作した。

1869(明治元)年、鳥羽・伏見の戦いにより、戊辰戦争が始まった。戦況は会津藩にとって不利なものとなり、多くの人々が戦いに臨んだ。白虎隊は16から17歳の少年隊士たちで構成された。彼らは戦場から飯盛山まで戻ったところで、煙に包まれる鶴ヶ城を見、落城したと思い、藩に殉じて切腹した。錦絵にはその鶴ヶ城と、16名の隊士たちの最期が描かれている(実際に自刃したのは20名)。当時を偲び、現在も飯盛山には隊士たちの墓がある。

この作品は「会津錦絵集大成」(芸艸堂)の一枚として、1977年に再び出版されている。

なお、当館所蔵の錦絵のうち、「白虎隊英雄鑑」以外の詳細は、福島県立図書館所蔵錦絵目録をご覧ください。

註1:「世界大百科事典」 3巻,21巻 平凡社 1988

註2:「錦絵日本の歴史四 西郷隆盛と明治時代」 時野谷和夫ら/著 日本放送出版協会 1982

参考文献

  • 「史料館叢書 別巻1 明治開化期の錦絵」 国立史料館/編 東京大学出版会 1989
  • 「浮世絵大系12 清親」 後藤茂樹/編 集英社 1976 他

〈地域資料チーム:寺西麻美〉