明治維新後、版籍奉還や廃藩置県を経て、現在の福島県が定まるまで、幾多の変遷があった。福島県歴史資料館では、昨年10から11月、「明治の古地図」展を開催。福島県が"成立"する過程を、地図を基に明らかにしたものである。同展では、当館所蔵資料16点が紹介された。『磐城岩代両國全圖』はその一つである(表紙図版)。
『全図』は、福島県地理課による編製。玄々堂印刷会社製造。1878(明治11)年7月に完成し、1879(明治12)年3月に出版。大きさは139×158cm。折りたたみ25cm×19cmで表紙付き(右上写真)。定価1円25銭。縮尺は十万八千分の一。銅版刷。地形は、等高線ではなく、細く短い描線、ケバで表されている。うんおう暈〓法と言う。地図に加えて、「各郡方里比較圖」、「山川比較之圖」、「若松城下之圖」ほか8箇所の城下図、そして各主要道路の里程標が記載されている。当館では、「三春遠藤氏蔵書記」の朱印の押されているものの他に2部、計3部を所蔵。また、下図と推測される(福島県歴史資料館・阿部俊夫氏談)断片を所蔵している。薄い和紙を貼り継いだものに手書きされており、字を消した跡や、貼り紙で名称が補われている箇所等がある(『〔磐城岩代両國全圖関係資料〕』)。
また、地誌編輯掛・大須賀次郎(〓軒 いんけん)(註)が、県令・山吉盛典の命により、識語を著しており、地図完成の喜びを述べている。当時は、1876(明治9)年に、福島、磐前(いわさき)、若松の3県が合併し、福島県となり、全域をカバーする地図が待たれていた。
当時の行政事情を反映し、伊具・刈田・亘理の三郡(現宮城県)、蒲原郡(現新潟県)が記載されている。宮城県管轄の三郡は磐城国内であり、越後国蒲原郡は福島県の管轄という理由による。
地図は実用品、消耗品と見なされ、後世に伝わりにくい資料であるが、各地の機関等に収蔵されているものは、近年、デジタル・アーカイブ事業等で、注目を集めている。絵図・地図は、現代のものも含め、書籍や文書同様、その地域を知る大切な手がかりである。作成当時の、興味深い歴史の一齣を物語ることもある。きちんと後世に遺すために、十分な保存体制を整えなければならない。
当館では、他にも、古地図類を所蔵している(本誌p2~5「福島県立図書館所蔵 明治期以前地図・絵地図目録」参照)。郷土資料の電子化事業により、CD-ROM化されたものもある(『伊達郡各村地図』)。折を見て、紹介していきたい。
(註)大須賀〓(いん)軒(1841(天保12)年から1912(大正1))は、現いわき市の生まれ。以前、この欄で取り上げた神林復所は、〓(いん)軒の父である(「福島県郷土資料情報 39」)。福島県地誌編纂掛となったのは1876(明治9)年。後、最初の宇多郡長、第二高等学校(現・東北大学)教授等を歴任。「緑〓軒詩鈔」「磐城史料」他の著作もある。
<地域資料チーム:阿部千春>