福島の蔵書印 その32 酒井誠師の蔵書印

 

大正8年(1919)5月11日付「福島新聞」に、福島市立図書館司書・酒井誠師の逝去を報じた次のような記事があるのを発見した。「享年七十才葬儀は明十二日午後二時図書館出棺舟場町長楽寺にて仏式を営む由 氏は同館創立以来十数年間司書の事務に従事し其功績少からざるに就き弔意を表する為め廿五日迄休館する事となれり」。

旧福島市立図書館から当館が引き継いだ図書の中に、酒井誠師蔵書と墨書のあるものや彼の蔵書印が捺されたものが多数ある。すべて貴重な資料ばかりなので、以前から誠師がどのような人物なのか関心を持っていたが、その死を悼み功績を称えて二週間も休館したというのには驚いた。さらに最近、彼のご遺族でいわき市在住の酒井貢氏から、誠師の経歴資料を送付いただくことができた。

それによれば、酒井誠師は嘉永3年(1850)岩城の神谷村(現在、いわき市)で笠間藩士の家に生まれた。別名、寅彦。十代を維新の動乱期に過ごし、後に河野広中の石陽社や白井遠平の興風社に参加、自由民権運動に身を投じた。いわきの文人大須賀 軒たちとも交遊があり、明治中期には既に誠師も郷土の文学者として知られていたらしい。明治41年(1908)旧福島市立図書館が開設されると書記として迎えられ(後に司書の職名で任用)、歿年まで同館の振興に尽くした。彼の蔵書が寄贈されたのは、亡くなった後であろう。その一部は散佚したらしく、県外で酒井誠師蔵の墨書がある古い本を見た、という話を歴史研究者から聞いたことがある。

上に示した蔵書印は縦横1.8cmの単郭朱印で誠師旧蔵の「画題合璧」という明治12年(1879)刊の版本から採録したものである。彼のコレクションは郷土関係資料も多く、多岐にわたる充実したその蔵書内容からも、彼の学識を窺うことができよう。

<資料課:菅野俊之>