会津若松市・諏訪神社発行の地方暦。諏訪暦とも呼ばれる。近世以前からの系譜を引く暦として、京暦、三島暦、南都暦等とともに名高い。東北地方では、最も古いとされる。江戸時代、会津地域内にとどまらず、北関東から、越後、秋田まで、広い範囲で用いられていた。
その起源は古く永享年間(1429から1441)に始まり、諏訪社神職・笠原、佐久、諏訪の三氏によるという(『会津暦の由来』)。元和6年(1620)には、七日町・菊地庄左衛門が売暦を始めた。『新編会津風土記 12』諏訪神社の項に、「ソノカミ諏訪・佐久・笠原三家共ニ暦學ヲ善シ、京師大鏡寺・伊豆國三島ノ神職ト同ク暦本ヲ梓行ス」と記されている。
現存する最古の暦は、寛永11年(1634)のもの。寛文以後(1661から)は、ほぼ連年のものが遺っており、他の地方暦にもあまり例がない。また、暦算のための草稿である見行草(けんぎょうそう)が伝わっていることも貴重である。内容は、日付干支は京都流で、七曜が関東流である。また、日々の吉凶を示す暦注も異なる。これらの相違は、暦法改正後は、京都流に統一されたが、暦の綴じ方など形態面の独自性は、明治初年まで継続した。初期のものは木製活字使用と推定され、他の暦に例を見ない。活字版以外に、写本、整版のものがある。表紙、装訂、寸法、印等、その特徴は、柏川修一著「会津の出版 会津暦を中心として」(東京堂出版『近世地方出版の研究』所収)が詳しい。『暦學史大全』(佐藤政次編著 駿河台出版社刊)には、「會津頒行寛政丁巳暦」「天保十五甲辰暦」が翻刻され、研究上の重要資料である。
当館では、数年分を合本したものを含め、明治3年までの177点を所蔵している(一部、整理済み)。最古のものは、寛延2年(1749)。痛みの激しいものが多く、何らかの保存対策が必要であろう。『国史大辞典』によれば、現在、奈良県の天理図書館が最多の約200冊を所蔵。県内では、会津若松市立会津図書館に174点、福島県立博物館に87点の所蔵が確認されている。
近世当初、日本の暦は、中国の宣明暦を用いていたが、貞享2年(1685)、安井算哲(渋川春海)が貞享暦を作製。改暦については、算哲が、保科正之により会津に招かれたことがきっかけともされている。その正之に仕えた著名な数学者・安藤有益は、『東鑑暦算改補』その他の暦学書を著した。会津は、暦学に関係深い土地であった。
会津暦は、会津の出版事情を物語り、学問研究の場が確立していた先進的な文化状況を証する格好の資料である。小さな暦であるが、当県のすぐれた文化遺産の一つと言えよう。
〈調査課:阿部千春〉