福島県立図書館所蔵 貴重郷土資料探照 4 「果樹園」

 

「果樹園」(東雲堂書店)は詩人、柳沢健(やなぎさわ けん、本名・たけし)が、大正3(1914)年12月、25歳のときに初めて出版した詩集で、彼の著作のなかで最も貴重な本である。四六判函入、全222頁、三方金の豪華な装幀が施されている。

後に詩人外交官として名を残すことになった健は明治22(1889)年11月3日、教員であった父・良三の長男として会津若松市に生まれた。柳沢家は会津藩士の家系であった。

その後、健は会津中学、一高、東京帝国大学仏法科と進み、逓信省、大阪朝日新聞社を経て外務省事務次官に任じられたのが大正11(1922)年、33歳の時である。同13年より、外交官としてフランス、スウェーデン、メキシコ、ポルトガルなど世界各国に赴任した。著書はほかに、合著詩集「海港」、訳詩集「現代仏蘭西詩集」、「柳沢健詩集」、随筆集「三鞭酒の泡」、「葡萄牙のサラザール」などがある。雑誌「詩人」、「詩王」等の刊行も手がけた。

島崎藤村が序文を書き、ベストセラーとなった評論集「現代の詩及び詩人」や、1年半におよぶ欧州旅行を綴った紀行文集「南欧遊記」が広く知られる。

彼は会津中学時代から、同校の「学而会雑誌」に短歌、詩、評論を発表し、「中学世界」にも投稿するなど、文学的才能を発揮しており、「果樹園」は、帝国大学在学中に出版した作品である。島崎藤村、三木露風に師事し、この詩集は露風主催の雑誌「未來」の未來叢書第二編として出版されている。「未來」二号の広告には「音楽的情操を有する点に於て此著者の如きは方今の詩壇に稀なり。其詩は白日の中の噴水、柔かき玉となりてしたゝりはぢくに似たり。生を愛するの情彼の如き、其声の何ぞ(ビビ)として哀婉なるや。」と評されている。巻末に健が訳したアルチュール・ランボオの「酔いどれ舟」も収録されており、この作品は本書で初めて邦訳された。

また、健の祖父も父も弟も教育者という家庭に関係して、郷里会津には校歌を作詞した学校が、小・中・高あわせて26ある。「校歌集 会津編」(会津毎夕新聞社 昭和30(1955)年)、「校歌の花束」(柳沢健生誕百年顕彰実行委員会 平成元(1989)年)にまとめられ、地元の人々からは、校歌の詩人として親しまれている。

彼は昭和28(1953)年5月29日、会津に帰省中、心臓麻痺にて64年の生涯を閉じた。善良で温和な人柄を偲び、没後、旧友有志らにより柳沢健友の会から遺稿集「印度洋の黄昏」(同35(1960)年)が出版された。同31(1956)年には、熱塩加納村、笹屋本館に「校歌の花塚」碑も建てられている。なお、柳沢健の人と作品については小野孝尚編「柳沢健全詩集」(木犀書房 同50(1975)年)、小野孝尚著「詩人 柳沢健」(双文社出版 平成元(1989)年)が詳しい。

〈調査課:高野香里〉