「こんなに殺人事件ばかり起きるわけはないだろう。」と言う人がいる。もちろん現実とは違う、ミステリーの世界である。
このところの旅行ブームも手伝ってか、全国津々浦々を舞台とした、ご当地旅情ミステリー・トラベルミステリーといったものが多く見られる。福島も例外ではなく殺人事件の宝庫と化している。そしてそれらは、読者の旅行意欲を掻き立てるかのように、観光地を舞台とするケースが多い。
内田康夫は、自作あとがきの中で、「最近の僕は、あまりに人に知られていないような場所を選ぶようにしている。日本人本来の心や地方文化に触れる意味から言えば、無用な飾り気が無いぶん小説の題材としてはふさわしい。」と言っている。“殺人事件”の上に地名を付けただけのような小説も見受けられる昨今、確固とした作品プロットを持った、氏の言葉と受け取れる。
さて、県内での事件の発生場所を見てみると、圧倒的に会津地方に集中している。鶴ヶ城、喜多方、猪苗代湖、磐梯高原、尾瀬と、まさに全国でも一級観光地の並ぶ同地は小説の舞台としては申し分ないのであろう。その他の舞台としては、原町市、二本松市、三春町、本宮町、いわき市などがある。
そして、これらの地を舞台に、松本清張、西村京太郎、内田康夫、斎藤栄、太田蘭三等が、物語を展開させているわけであるが、当然、彼らが世に生み出した名探偵役も数多く福島に足を運んでいる。二階堂日美子然り、浅見光彦然り、宮之原警部然りである。十津川警部・亀井刑事のコンビにいたっては言うまでもない。
こうした、地域色を活かしたトラベル旅情ミステリーといえば、西村京太郎という感があるが、遡れば、その原点は松本清張にあるような気がする。
戦後、横溝正史は名探偵“金田一耕助”を登場させ、地方の山村を舞台に、日本独特の慣習に満ちた伝奇的社会を描いた。それから十年、『張込み』により推理小説界に現れたのが松本清張である。『或る「小倉日記」伝』の芥川賞受賞により、既に文壇における評価も確立していたわけではあるが、後に社会派と呼ばれるように、日常性と現実性を意識し、動機を重視し、主人公をその社会の中で見据えていくやり方は、理論的でもあり、非現実性を感じさせないところが、当時の日本人を魅了していった。
氏の処女長編は『点と線』であるが、東京駅13番ホームから15番ホームを見通せる4分間のからくり。福岡と北海道を結ぶアリバイトリックと地域色の的確な描写。高度成長期における官僚・業者・汚職。まさに社会派の確立、ミステリーと地域性の融合の原点と言えるのではないであろうか。
福島を描いた作品としては、『渇いた配色』という、昭和36年の雑誌掲載物がある。後に加筆、『死の発送』と改題されている。単行書の帯風に内容を紹介すれば、 「郡山駅で受け取られたトランクには死体が詰め込まれていた。被害者は都内三流新聞社の編集長。しかしこのトランクは、被害者本人が東京田端駅から発送したものであった。」
とでもなるであろうか。公金横領による服役を終えた元役人の出所から始まるこの物語は、その使途不明金をめぐり、福島競馬の開催を絡ませながら、“準急しのぶ”“急行津軽”“競走馬輸送列車”などを駆使した、見事なアリバイ工作が展開されていく。 清張物としてはもう1点、『天才画の女』がある。天才女流画家の出現に絡み、ライバル画商が探偵役となり、女流画家の秘密を探っていく。その過程は流れるように読み手を誘うが、これこそ一流の伏線であり、最後に思わぬ結末を見せられることとなる。 この女流画家の出身地が、福島県にある真野町という架空の町なのである。しかし本文には、真野町は「東北本線を上野から乗って2時間半、支線に乗り換えて15分」「山間の城下町で、正保2年に秋田氏がこれに代わった。」とあり、三春町であることがわかる。
それでは最後に、福島に関係のある人物や出来事を題材としたミステリーを紹介して、この文を閉じたいと思う。
「私は、野口英世博士は殺されたのだと信じている」で始まる、斎藤栄の『Nの悲劇』は、偉人殺害説という仮設推理をモチーフに、小説中の事件が絡み合い話が進められていく。
『「首の女」殺人事件』は、ご存知浅見光彦が愛車ソアラで登場、二本松市で起きた殺人事件を発端に物語は進んでいく。彫刻家高村光太郎とその妻智恵子の芸術と愛をも捉えた傑作。
小林久三の『蒼ざめた祖国』は、昭和24年8月に起きた“松川事件”がモデルとなっている。米国情報機関による鉄道謀略事故という形で、物語は淡々と描かれていく。
郷土が舞台のミステリー、細部がわかるだけに、そのからくりなどにもう一興があるのではなかろうか。
参考文献