大袈裟な御題を与えられて困った。さまざまな20世紀関連本が巷にあふれているが、ありふれた回顧本ではつまらない。そこで、20世紀のキーワードを考えることにした。
- 戦争の世紀
- 革命と独立の世紀(共産主義と資本主義、植民地支配からの独立)
- 科学技術の発達――それに伴う物質文明と環境破壊の世紀
- パックス・アメリカーナの世紀
もっと他にもありそうだが、それはそれ。これで大枠の基本方針は定まった。あとは、“独断と偏見と珍奇と頑固と……etc”で本を選択した。では、いよいよ本題に入ろう。
『二十世紀とは何だったのか ――マルクス・フロイト・ザメンホフ――』 なだいなだ、小林司共著 朝日新聞社1992(朝日選書442)
出版年が少し古いのだが、ともに1929年生まれの精神科医が、社会主義の20世紀を概観している。
その振り返り方がユニーク。「100から150年前に考え出されたエスペラントと精神分析とマルクス的社会主義。この3つがユダヤ人によって作り出されたことが、20世紀を暗示して」いるというので、この3人を軸にして話が進む。
数千年来のユダヤ人迫害の歴史が、差別のない世界の構築を目指す思想・方法論の原動力になった。それが、共通言語による相互理解の深化を目指したザメンホフ,無意識と意識の分析を通じ、権力欲や攻撃性、差別を助長する心の内を解析して、平和を指向する人間性を導こうとしたフロイト,制度として差別と搾取のない社会を実現しようとしたマルクス,なのである。
更には、19世紀末から20世紀初頭の社会主義運動とエスペラント運動の関わり、そしてヒトラーやスターリンなどが精神分析を弾圧した経緯をひも解く。
しかし、これらの思想とその実践行動の結末は、社会主義の敗北,国際語は英語,精神分析は個人の心の解析から飛躍できない,という現状となって我々の目の前にある。
宗教の対立は依然として後を絶たず、社会主義のくびきによって押さえ込まれていた民族主義も表面化し、数百年来の怨念に基づく紛争で死者と難民が続出。19世紀末と似たような世界状況が蔓延している。
しかしながら、社会主義については「スターリン型社会主義」が行き詰まっただけで、資本主義内部から社会主義政策を実現させている「社会民主主義」(スウェーデンやイギリス、ドイツなどで成果をあげている)については評価している。
概観を終えた二人は、これからの社会について、“人間の行動や思想のグローバル”に伴い「コスモポリタニズム(地球市民主義)の方向に行かざるをえない」とし、そのきっかけが「環境問題」であるとしている。チェルノブイリの原発事故や酸性雨、二酸化炭素による地球温暖化問題など、一国で対処できることではなく、「地球破局に対するクールな共通認識がコスモポリタニズムを発展させてくれればいい」としている。
(実際には、九七年の地球温暖化防止京都会議の議定書とりまとめの紛糾を見てもわかるとおり、自国のしかも経済優先――これは食糧問題にしても健康問題にしても同じ図式である――に徹しているが……)
最後の章に「日本について」がある。興味深いのは、“英語”と“宗教”について触れていることだ。
英語については「金持ちは我が子の英語教育に投資できる。貧乏な人間の子はそうはいかない。言葉に対する恨みみたいなものが子どもたちの間に生まれていくことも大いにり得る」と話している。最近は、小学校からの英語教育の実現や某首相の英語第二公用語化論などで少し状況が変わったようにも思えるが、学生時代にあれだけ勉強してモノにならなかった自分の経験も振り返ると懐疑的にならざるを得ない。新たな差別の温床では「インターネット」も挙げられるだろう。知識の習得もさることながらやはり経済的に厳しい人への差別につながるおそれがある。
宗教については、「プリミティヴな、強い攻撃性を内側に秘めた新興宗教のほうに、人が流れていく。既成の体制化した宗教には向かわない。また新宗教は、コミュニティ志向で、家出してきた人を家庭に代わるものとして受け入れる。」と傾向を分析し、更に「在来の宗教とか、カウンセリングとか、教育とか、社会福祉とか全部が同じで、(心の平安や自分の居場所を)与えることができないので、そこにつけ込まれて、「与えますよ」というのがほかから出てくる。」などと述べている。この新興宗教の1つに、オウム真理教の名前が挙がっていた。その後、新興宗教が社会問題化するのは衆知のとおり。
こういったもろもろの問題の解決策として、2人は「教育」に期待しているわけだが、もはや「学校教育」には見限りをつけ、「民際的なネットワークによる新しい意味での教育、グローバルな視点をつくり、インターナショナルな考え方をできる教育が必要」としている。それでは具体的にはどうすべきかまでは提言していないので、総花的な印象は否めないが、基本的な考え方としてはそのとおりであろう。
『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足 ――神経内科からみた二十世紀――』 小長谷正明著 中央公論新社 1999(中公新書1478)
「20世紀は戦争の世紀であり、一国に命運はしばしば独裁者の手に委ねられた。だが独裁者の多くが晩年「神経の病」に冒されて指導力を発揮できず、国民を絶望的状況へ導いたことはあまり知られていない。彼らを襲った疾患とはいかなるものだったのか。政治的指導者から作曲家、大リーガーまで、多彩な著名人を取り上げ、貴重な映像と信頼に足る文献をもとにその病状を診断する。(カバーの紹介文より)」という一風変わった内容の本。
このうち、政治的指導者として、ヒトラー、レーニンとスターリン、毛沢東、アメリカのウィルソンとフランクリン・ルーズヴェルト両大統領を取り上げているが、いずれも20世紀の立役者である。
著者によると、ヒトラーはパーキンソン病だったという。この病気は、脳の神経細胞の死滅が原因で、手足が震え、動作が鈍くなり、筋肉が硬くなっていく。早くも一九四一年頃から症状があらわれ、左側から発症しやがて右側にも出現した。しかも、覚醒剤も使用していたという。パーキンソン病の精神的特徴の1つに保続という現象があり、一つのやり方・考えに固執し融通がきかなくなる。また、覚醒剤は気分の変動を大きくする。政治判断や戦争指導に影響を与えた可能性が大であったのではと推測する。 レーニンは、脳梗塞によって右半身が麻痺し、失語症に陥った。アジテーションで革命を成功させた人間が言葉を失ってはおしまいである。その後スターリンの暴走を生み出し、ひいてはスターリン型社会主義をも生む悲劇となった。
一番興味深かったのは、両大戦中にアメリカ大統領として戦争・政治を指導し、戦後世界の運命に影響を与えたウィルソンとルーズヴェルトだ。ウィルソンは、当時の国是であったモンロー主義(ヨーロッパの紛争には介入しない一国平和主義)下で参戦し、国際連盟樹立の立役者となった。ところが上院が条約を批准しないので、全国遊説の旅に出た直後に脳梗塞で倒れ、任期満了までの17ヶ月間、側近政治がはびこった。そのため、アメリカの国際連盟加盟は実現せず、連盟は有効に機能せず、第二次大戦を迎えるのである。
一方、ルーズヴェルトは、ポリオで下半身が麻痺するというハンデを背負ったものの、懸命のリハビリに努め、1932年に大統領に当選する。しかし高血圧とタバコの吸いすぎによる慢性呼吸不全で、低酸素状態が繰り返され、ゆっくりと脳の神経繊維がこわされていくビンスワンガー症にかかっていたそうだ。1944年春には集中力が欠け、うつらうつらしていることが多かったという。45年2月のヤルタ会談では、討議にまったく加われず、スターリンにいいようにやられた。このヤルタ会談こそ、戦後の世界秩序を決定づけたものであり、冷戦構造や分断国家の悲劇を生んだのだった。
大国の指導者が病に倒れ、しかも政権交代がうまくいかないことが、いかに全世界に悪影響を与えるかがよくわかる。
さて、調子にのって書き綴っていたら、いつのまにか許されていた紙数を超えてしまったらしい。あと2冊ほど、私見で紹介するつもりだったが、これにてお役御免蒙ろう。
<調査課・渡邉>