巻頭随想 「本の広場」 丹野 清志 氏

 

四十年近く、日本各地の都市・町・村を巡り歩いてきた。

様々な土地で出会う人びとの写真を写し、日々の暮らしの話を聞かせていただく旅である。

私の写真アルバムには、数えきれない人が写り込んでいる。ふつうの暮らしをしている、ふつうの人びとである。

人と会う時、私の立場は取材者ということになるわけだけれど、私には取材するという意識はなく、いつもふつうの視線でいたいと思っている。人を見るということは、相手からこちらを見られていることでもあるからだ。

何を撮るか、どう取材するかを決めて出かけたことはない。とりあえず北のほうへ行ってみようか、と気まぐれに出かけた旅も度々あった。

ふらりふらりと歩いて行き、こんにちは、と人に出会って写真を写し、

「猛暑ですねぇ」

「今年は暑い日が続きすぎてるせいか田んぼにカメムシが大発生しちゃって困ってるよォ」

「昨年も暑かったなあ」

「そうそう、キュウリ畑がカラカラになっちゃった」

というような会話をとりとめもなくしているのである。

風来坊のように移動して、小さな言葉を収録していくだけの旅だけれど、小さな言葉から教えてもらうことがたくさんあった。

それらの呟きのような記憶の断片をつなぐように、数年ごとに本というかたちにまとめる作業を続けてきた。

写真は、写した時から印画紙にプリントするまでは私の旅の世界が持続しているのだが、本という印刷物に置き換えられると私個人の旅から離れていき、もう一つの旅をしはじめる。

どこかの町に、私のささやかな本が置いてある。

見知らぬ人が私の旅の記憶にふれ、本の中にいる人びとと出会う。そしてそれぞれのメッセージと対話する。

本が、様々な人びとの出会いの広場として動き出していく時がうれしい。

ある本を読んでいて、かなり昔に旅先で会った人の言葉を卒然と思い出すことがしばしばある。

その時の言葉と本の内容はまるで異なる世界なのだけれど、それまで記憶の隅に転がっていた言葉が文章に刺激されて復活し、ズシリと重みを持って再現されるのである。 新たな言葉は、さらにいくつかの本を誘引していろんな展開をみせる。そのくり返しによって、私の旅への想像力は豊かになるのだ。

最近は若い時のようにがむしゃらに動きまわることは少なくなり、歩調もゆったりしてきた。ま、良く言えば旅する気持ちにゆとりが出てきたということか。

これからの旅は、若い時代に見すごしていたものを拾い集める作業になるのかもしれない。いつかまた、本の広場をつくりたい。

丹野清志
1944年福島市生まれ。白河市在住。東京写大(現東京工芸大)卒。
写真集に「村の記憶」「路地の向こうに」「ササニシキヤング」「カラシの木」「東京・日本」。
写真文集に「おれたちのカントリーライフ」「日本列島ひと紀行」「収穫菜」。
ほかに「写真を楽しむ300の知恵」など写真関係著書がある。写真家。