昨今、話題の「ウォーキング」。歴史や文化に触れ、自然を楽しみながら歩く。自分のペースでその土地の風を感じ、ただひたすら歩く。「ふるさと探訪」初登場の体験レポートを、二本松の城下町と文学碑をめぐる約5キロのコースに挑戦してみた。
スタートは二本松駅。正面に高村光太郎の「智恵子抄」の歌碑があり、ほんとうの空のもと駅前通りを直進し、本町通りにぶつかると目の前にうっそうとした木立の二本松神社。十月の例大祭は日本三大提灯まつりのひとつで絢爛豪華な光の饗宴が繰り広げられる。迷わず歩けますように……と参拝し、久保丁坂に抜ける。大きな石垣の坂下門跡を確認して、ニ本松市歴史資料館や二本松市立図書館にも立ち寄れると思いながらも先を急ぎ、久保丁坂を上る。
上り切ってちょっと下ると右手に男女共同参画社会の実現を目指して設立された福島県男女共生センター「女と男の未来館」。封建時代のご先祖様も時代の流れよと御思いか……。小学校を過ぎ、霞ヶ城公園へと向かうと道沿いに戒石銘がドーンとある。五代藩主・丹羽高寛が儒学者・岩井田希夷の献策を受け、「お前たちの俸給は領民の汗と脂の結晶。感謝して領民をいたわらないと天の怒りに触れるだろう」と藩政改革・綱紀粛正を示すため一夜のうちに刻ませたという。武家屋敷からの登下城の時に必ず通った場所だろう。
城山の県立霞ヶ城公園に入ると、箕輪門手前に木村銃太郎隊長に指揮され勇敢に立ち向かう二本松少年隊群像が立つ。『落城二本松』(安藤信/著)や『歴史-みちのく二本松落城-』(榊山潤/著)に描かれた二本松藩の戊辰戦争は、今も痛々しい。門をくぐるとトンカチの音。早くも菊人形展の会場づくりが行われていた。今年は美男の北条時宗や蒙古襲来が再現される。藤棚を左手に池や庭園を楽しみながら茶室・洗心亭を過ぎ、樹齢三百年という傘松とイロハカエデの大木を抜け、一気に智恵子抄詩碑まで駆け上がる。ちょっと息が切れた。近くの小石に腰掛け暫し休憩。築城の際生け贄になった夫婦の牛が石と化したと伝えられる四余りの巨岩に「あどけない話」と「樹下の二人」が刻まれ、円形野外劇場をイメージして周囲を掘り下げたという詩碑の解説を読みながら、お茶とおにぎりをほおばる。
ちょっと離れた広場に少年隊顕彰碑が立つ。ここは少年隊が稽古に励んだ場所。右手に下ると遅咲きの紫陽花の道の奥に日影の井戸がある。本丸まで登り二本松市街を一望する。
帰りは、搦手門から花ふぶきの城山を詠んだ土井晩翠の歌碑に下り、藩主丹羽家の菩提寺で少年隊の墓もある大燐寺へ行く道と観音丘陵遊歩道の別れ道に出る。今回は遊歩道を行く。
夏草刈りの人たちに「こんにちは」と挨拶しながら気持ちよく蝉の声を聞く。サイクリングロードを離れ遊歩道をちょっと登ると東野辺薫の文学碑がある。芥川賞受賞作『和紙』の直筆の一部が浮き彫りになっている。もう少し行くと道端の大きな石に「陸奥の安達太良真弓…」と詠われた万葉の歌碑が立つ。更にその近くに中山義秀の文学碑もできた。京都にも負けぬ安達・文学の径である。市文化センターまで続く遊歩道を久保丁坂で下りる。
無事、駅まで戻り約二時間。結構起伏があり、心地よい汗が流せた。唯一迷ったのはお土産。玉嶋家の玉ようかんか日夏の最中洗心亭か……。帰りの本町通りには誘惑がいっぱいある。
最後に、無料ガイドを紹介。地元ボランティアの方が観光地や史跡・文化財を案内してくれる。問い合わせは、安達地方観光ボランティアガイド協会事務局(電話番号:0243-22-1110)。または二本松観光協会・二本松観光ボランティアガイド協会(電話番号:0243-23-1111)。まだ、安達太良連峰も安達が原の伝説も智恵子の生家も残っている。いつかまた、今度はガイド付きで巡ってみたい。