以前、このコーナーにおいて、ストーリー漫画の先駆といわれる、『スピード太郎』(昭和5年連載開始)という作品を紹介しました。映画的手法といわれる斬新な技法を取り入れ、また、当時としては、空想の世界であったであろう、ロボットやロケット、テレビなどを登場させたこの作品は、後の児童漫画に大きな影響を与えたといわれています。
この作品の作者である、宍戸左行(ししど・さぎょう)は伊達郡桑折町の出身です。
アメリカでの9年間にわたる技術修行の後帰国、読売新聞社で政治風俗漫画を描くようになります。そして、同紙の日曜版付録に連載されたのが「スピード太郎」でした。
主人公の太郎少年が、敵であるドルマニア国の手下と戦う場面は、飛行機や汽船と目まぐるしく展開し、映画でも見ているかのような躍動を感じさせてくれます。最後に太郎が「僕も戦争には大反対である。」と叫びます。この場面が紙上掲載されたのが、満州事変勃発直後であることを考えますと、「のらくろ」など、当時の軍事色背景が感じられる作品と比べ、異質であったことがわかります。
さて、こうしたストーリー漫画が全盛期を迎えるのは、手塚治虫などが活躍する後々のことであるわけですが、戦後、そのブームの中心にあったのは、「絵物語」と呼ばれる、読み物と漫画を組み合わせたようなものでした。
その、「絵物語」ブームを生んだ作品とされるのが、山川惣治(やまかわ・そうじ)の『少年王者』(昭和24年連載開始)です。山川は郡山市の出身で、昭和初期には街頭紙芝居の制作を手がけ、紙芝居ブームを作ったと言われています。「少年王者」も紙芝居でしたが、子どもたちの人気を得、少年雑誌への連載が始まったのでした。
密林冒険もの誕生の根底には、少年時代に観た映画「ターザン」の影響があったとされています。当初、「ターザン物語」であったのが、GHQにより名称使用を禁じられ、日本人少年を主人公とした作品となりました。
その他、“心酔した。あの心酔が「あしたのジョー」誕生の母胎である。”と、原作者梶原一騎に言わせた『ノックアウトQ』(昭和24年連載開始)は、天才ボクサー木村久五郎を描いた作品で、戦後絵物語の最高傑作といわれています。
その後も、『幽霊牧場』(昭和25年連載開始)や『少年ケニヤ』(昭和27年連載開始)などの作品を発表し、絵物語の中心として活躍しました。また、後年映画化されたり、他の作家の手により復活する山川作品もあり、時代を超えて親しまれている作家といえます。因みに、1960年世代には懐かしい、川崎のぼるの人気漫画「荒野の少年イサム」。その原作者でもあります。
さて、次は最近の作品からご紹介したいと思います。
腰まで届く長髪姿の主人公。学園狭しと暴れまくるその姿を描いた、アクションギャグ漫画の決定版『コータローまかり通る』(昭和57年連載開始)は、長期連載作品としても有名で、幅広い年齢層が愛読した作品といえます。作者である蛭田達也(ひるた・たつや)はいわき市内郷の出身です。
続いては、「ほのぼのとした気持ちにさせてくれること間違いなし!」という作品です。
主人公コースケは、お金をかけずに毎日を楽しく過ごす天才です。彼は、日々のありふれた生活を、気持ち一つで楽しみに変えていきます。「秋晴れのふとん干し。ついでに読書でうたた寝。目が覚めて広がる夕焼けに感動。」「図書館に通いヘミングウェイを読み進める日々。」「ビアガーデン。一人で来ていたおばあさんと意気投合するカノジョ。酔ってウトウトしてしまう自分。」など、何ら特別なものではない日々の生活が、淡々と描かれています。そのエピソード数は165篇に及びます。この作品『大東京ビンボー生活マニュアル』(昭和61年連載開始)の作者は、三春町出身の前川つかさ(まえかわ・つかさ)です。
克己的な生活を送る彼と、それを取り巻くご近所たちと理解あるカノジョ。現代人には失われている生き方であるからこそ、人気があるのかもしれません。
それでは最後に、いわき市内郷出身の山口太一(やまぐち・たいち)をご紹介したいと思います。
近年においては、「日本の歴史」「奥の細道」「俳句」といった学習漫画を中心に活躍しています。画業35周年を迎えた際、「子どもたちからの手紙がうれしい。」と感想を述べています。子どもに根強い人気のある「マガーク少年探偵団」シリーズ。そのイラストを手がけているのも山口太一です。
今回、ご紹介しきれなかったのは残念ですが、福島県出身の漫画家は、まだたくさん活躍しています。何気に読んだ後で、「あっ福島の人だ!」という発見を楽しみにしたいものです。