巻頭随想 「郷土資料と城絵図」 鈴木 啓 氏

 

森合の県立図書館は三代目で、私が学生の頃の県立図書館は杉妻町の県庁と紅葉山公園の間にあった。明治四十四年福島県物産陳列館として、上野の東京国立博物館内の表慶館(考古資料展示館)を模し、中央と両翼にドームのある洋風建築であった。

この建物を、昭和四年に転用して十月に開館したのが初代の県立図書館であるが、昭和三十五年八月焼失した。図書館本体は、幸運にも二年前に二代目として松木町に新築移転していたので、蔵書の焼失は免れた。

開館当初から郷土資料の収集に努め、佐藤文庫も加わって充実ぶりは比類なく、本県の足跡を一歩一歩証明する独自の資料だから、県民の宝といえよう。郷土資料の中で、城絵図に注目してみよう。

平成三年二月、県立図書館の展示コーナーで「城郭絵図展」があり、この時ガラス越しに撮影したのが中村城・猪苗代城・若松城(二葉)・棚倉城(二葉)・福島城(二葉)・二本松城(二葉)・白河城・平城絵図で、中でも「福島旧城之図」が目に焼付いた。

福島城は東西六〇〇mあって、藩主の石高に比して巨大なのは、会津の支城期に信達盆地の主城であったこと、十五万石の本多氏の本城であったことがあげられる。どこの城跡も、明治四年の廃藩後伝統的権威を頼って官公署がが入りこむが、福島城ほど跡形もなく建物・遺構を失った例はない。福島城は平地に構築した城で、南面は阿武隈川の断崖(往時は川岸の道はなかった)、東・西・北面は堀を掘って土塁を積んだ構造であった。

廃藩後いち早く県庁、次いで小学校・医学校・病院・郡役所・町役場・師範学校・県会議事堂他が集中し、そのたびに土塁を崩して堀を埋めたため、築城以前の平地に戻り、可視的景観としては県庁西庁舎南の残存土塁と、紅葉山公園の池が残るにすぎない。そして、城と城下町の存在は忘却された。

絵図にはデフォルメが甚だしく、地図に重ねてもゆがみが大きく、遺構の位置を追求できず開発の事前調査もできなかった。平成九年十月、さきの「福島旧城之図」を閲覧した。注記に「千二百分の一、紀元二千五百三十五年、福島県土木掛福田正介写」と注記があり、年号は皇紀(神武紀元)で明治八年である。何よりも福島県土木掛(当時は中通りのみの福島県)とあるので、福田氏は近代土木技師と考えられ、絵図は実測図と推定された。北二ノ丸・三ノ丸・新屋敷はすでに埋戻されて欠け、記入がない。

この図をトレースし、縮尺を合わせて二千五百分の一の地図に重ね、残存土塁と池を基準に方位を定め、欠けている郭を補った結果全部の土塁と堀を地図上に再現できた。これが絵図+地図の複合図で、板倉氏入府三百年の平成十四年に、五年がかりで完成できたのも、何かの縁である。幻の福島城の姿を正確に伝えてくれた「福島旧城之図」は、かけがえのない県民の宝といえよう。

福島旧城之図

『福島旧城之図』(福島県立図書館蔵)


鈴木 啓(すずき・けい)
一九三二年、福島県小高町生まれ。
福島大学学芸学部卒業。県立高校・県教育庁文化課・県立博物館に勤務を経て、福島県考古学会会長。
『ふくしまの城(歴春ふくしま文庫)』、『福島の歴史と考古』、『城と石垣の歴史』などの著作がある。