ふるさと探訪 其の31 舘岩発只見行き冬の花火を訪ねて

 

舘岩に異色の宿がある。無農薬の食材を用いて南米料理を食べさせる「タンボロッジ」。舘岩川の流れの傍らに土地を求め、都会から移り住み、自分たちの手でログハウスを作り早5年が過ぎる。各部屋は禁煙でTVも無く板張り、布団も勝手に敷く。食事はオーナー夫妻も加わり同宿の者が賑やかにテーブルを囲む。ペンションや民宿ではなく、なんだか友達の家に遊びに来た気分。

料理長(夫)と支配人(妻)はユースホステルで知り合ったという旅好きの食べ好き。自ずと集まる仲間も一癖ある連中でリピーターが多い。南米音楽を愛するメンバーがケーナを吹き出し、いつの間にかミニコンサートが始まる。薪ストーブの周りでは鉄道マニアが勇壮に走る「D51」を熱く語る。訪れる度に手作りの木工製品が増え、漆にかぶれた話で盛り上り、深夜まで笑い声が響く。

この宿で恒例となっているのが「只見の雪まつりツアー」。今年で31回を数える冬のイベント「只見ふるさとの雪まつり」をみんなで見に行こうという企画。

伊南村から南郷村を伊南川沿いに走り只見町に入る。慣れない雪道をなんとか無事に運転して、JR只見駅前広場に着く。

会場には大雪像「田子倉ダムと只見の自然」を中心にアザラシの「タマちゃん」などの雪像が列び、雪のステージでは伝統芸能が披露され、御輿が繰り出す。長靴飛ばし大会に雪の早積み大会、丸太の早切り大会とユニークなイベントが目白押しだが、お目当ては、屋台に並ぶ郷土料理と冬の夜空を焦がす花火。

「今年もまた来たよ!」とまず声をかけるのが牛タン焼き。そして熊汁と、米沢牛の炭焼きに高菜の入ったおやき…。クライマックスの大花火大会は目に入る雪と葛藤しながらも、幻想的な雰囲気を醸し出す。夏の花火にはない物悲しさを感じさせる雪に煙る花火。

ここ奥会津は雪を抜きにしては語れない。版画家・斎藤清は「会津の冬」を50年以上も描き続けた。あの世界は彼の心の故郷だった。酒井三良の「災神を焼く残雪の夜」もまた、燃え上がる炎は豪雪の中でこそ活きる。厚い雲と空中を埋め尽くす雪が、太陽の光を遮り日中でも夕暮れのようにすべてを冷たく閉じこめてしまう。新緑も青い空も、燃えるような紅葉さえも無かったように、人々はその雪の下で暮らす。冬の花火は、その鮮やかな光で一瞬雪を染める。打ち上げ花火から雪のステージへの仕掛け花火と移ると、感動はもう最高潮に達する。

豪雪のご利益は日本有数の只見川水力発電。戦後の開発では田子倉ダムの建設を舞台にした文学作品も多い。多額の補償金を手にし、村人たちが生き方や考え方を覆すさまを描いた城山三郎の『黄金峡』。それは長い間培われてきた土地の仕組みや生活が崩壊することであった。逆に電源開発の幕開けとして、工事現場の技術者たちを描いた曾野綾子の『無名碑』。ダムは何千という人間が造り出した無名碑という。

文豪・中山義秀も『逃避行』という短編を書いている。複雑な人間関係から逃れて、旅する祐三が主人公だが、行商の人々の様子や車窓からの風景、伝説などが加わり、義秀の目を通した当時の生活が描かれている。

昨年、奥会津書房から竹島善一写文集『蘇る記憶』が出版された。昭和50年代の奥会津をモノクロの写真で綴る。「住むとは土地にいのちを委せること」とキャプションの入った茅葺民家まえに1人の老人。対談では、とっつぁまやばぁさまが居なくなっても、その心を引き継いだ次の姿が出てくる。それが奥会津の魂だ。と三島町長齋藤茂樹氏は語る。

タンボロッジでは昨年、「舘岩発南米行き」が行われた。宿に集まる仲間とバスでアンデス山脈を越え、マチュピチュの遺跡やチチカカ湖を訪ねる「旅」を決行。さらに夫妻は研修旅行と称し二ヶ月近くペルー・ボリビアを廻った。

ダムに沈む土地を後に人が去り、その土地にまた人が集う。それでも奥会津には雪が積もり、残雪の中からブナの新芽が吹き出す。春が来る。新しい人々が加わり力強く生き続ける。