金次郎作の上の童謡「古い戸」は昭和7年11月号の『赤い鳥』に掲載され特選に選ばれた。北原白秋は、この作品を以下のように評している。「小林君の『古い戸』には近代の細やかな神経が光っている。鋭いくらいである。倉の戸のきしりを鵯や鶫のこえにしたところも暗示的である。古風な倉の戸前の春も白い梨の花によって柔らかに明るくされてその空気の中にキヨキヨと戸の錆びた車がきしむのである。」金次郎は自著『北原白秋と福島』(蘭緊之,1987年)の中で「この先生の言葉が、私の作詩活動に与えた影響は実に大きかった。私にとってこの言葉は私の生涯に決定的なものを与えて下さったと言える」と述べている。昭和8年11月、福島県教育会館の新設披露の際に、憧れの北原白秋を福島に迎え、児童文学・童謡・少年詩などについて講演会を開催する機会に恵まれた。結局、金次郎の白秋との対面はこれが最初で最後であったが、全国的に有名な北原白秋に自作の詩を賞賛され、また、前出『日本伝承童謡集成』で親しく編集の手伝いが出来たこと、また自分の生まれた福島の地に白秋を招くことができたことは、金次郎にとって至上の喜びであったろう。昭和43年7月には白秋の流れを汲む詩誌『からまつ』創刊号を出版するが、この誌名も白秋の詩集『落葉松』にちなんでつけられたのは言うまでもない。白秋が目指した「美への激しい試みと人間の愛へ向けた鋭い感受性」を福島の地で受け継ぐ『からまつ』は、平成10年1月の141号で主宰者である金次郎の健康上の理由で終刊を迎えるまで、実に三十年以上も続いた同人誌であった。