地域の名所をモチーフにした創作民話も残しているが、新開氏の児童文学の中心は、「児童歴史文学」「歴史小説」と呼ばれる作品群である。中でも、凶作に苦しみながら、懸命に助け合って生きる農民の姿を時代背景や農業政策の問題と共に、繰り返し書いている。その源には、幼児期に母から繰り返し聞いた故郷の移住民の歴史や、移住民だった先祖のことを涙ながらに語る姑の思いがある。故郷には、天明の大飢饉で多くの民を失った相馬中村藩が、百姓法度という定めにより住む土地を自由に決められない時代に、復興のため、北陸の農民を移住させた歴史があった。危険を冒して故郷をあとにし、新たな土地へ移り住む農民と、藩の命を受け移民を支えた少年僧の苦難を描いたのが、第2作目の『虹のたつ峰をこえて』(アリス館牧新社 1975)である。「今、のどかに見える農村風景のうらにも、こんなでき事があったのを知ってもらいたい」との思いで書いたこの作品は、方言を用いて力強い。なお、1976(昭和51)年には、第22回青少年読書感想文全国コンクールの中学校課題図書に選ばれている。
農民の歴史を描いた他の作品には次のものがある。昭和初期の大凶作の中で闘う農村の母と子を希望と共に描いた『いつでも風の中を』(金の星社 1980)。『虹のたつ峰をこえて』の続編で、天保の大飢饉後に越中五箇山(富山県)から相馬中村藩へ移住し、二宮仕法のもとに生きる少年を主人公とした『海からの夜あけ』(アリス館 1981)。そして、同じ天保の大飢饉の時、食べ物を求めて他藩からやって来た人々を救った実在の人物早田伝之介の功績を書いた『空を飛んださつまいも』(金の星社 1985)。新開氏は、飢餓を乗り越え郷土を支えて来た農民の姿を、何度も子どもたちに伝えた。
『海からの夜あけ』の最終章に、天保から明治の時代を生きた主人公が、移民の心を子孫に伝えるため記念碑を建てる場面がある。紙に書くのではなく、碑に刻むことを決意した理由をこう書いている。「たとえ世のなかがどのように変わっていこうが、人間が生きていくかぎり、食い物を作らねばならん。その食い物を作るのは百姓や。その気持ちをもちつづけるものこそ、わしらが子孫じゃと思って、書き残すことに決めたがい。」
社会の急速な変化を受けて、身近に歴史を語る大人がいなくなり始めた子どもたちへ、親から受け継いだ先祖の思いを語り、子どもたちが担う未来に警鐘を鳴らしたのではないだろうか。